2024.01.14 08:17公暁について【寄り添ってくれる人】非常に残念なことは、吾妻鏡にも公暁の記録は少なく誕生日も不明、肖像画があるわけでもありません。どんな人だったのか?を想像する材料が不足していることは事実だと思います。私の個人的な考え方ですが、どんな人だったのか?を想像する以前に公暁は日本人として生まれ、鎌倉で暮していたことは間違いないでしょう。生まれた時代が異なっても、人が持つ基本的な感情には然程の違いはない。と思っています。例えば、人が感じる「喜怒哀楽」は鎌倉時代の人と現代を生きる私たちと大きな差はあるのでしょうか?私は「大きな差は無い」と思います。環境や文化が異なりますので100%同じとは限りませんが凡そ、変わらないモノではないかと考えております。私が1番に考えるのは、公暁が抱いたであろう「悔しさ...
2024.01.08 04:222024年2月24日(土) 第一回 公暁祭公暁祭開催に向けて、様々なイベント企画中です。◆奉納演劇 ◆応援隊の皆様の来場 ◆パネルディスカッション など。素敵な武士の皆様にもお会いできます!!お祭と言えば!!美味しいものアレコレですね。焼きそば公暁!!味噌こんにゃく・・・・今後の発表にもご期待ください♪食べて・飲んで・見て・お買い物して♪充実した1日を過ごして頂ける様全力で取り組んでおります!!X(旧Twitter)にて大泉寺住職からの先行情報などもありますが来場いただく皆様に楽しんで頂ける様、主催者、共催者共々、頑張っております!!どうぞ、ご期待くださいませ。
2024.01.07 12:46公暁について【幼少名:善哉】公暁はの幼少名は、私たちの店舗名にも拝借している「善哉(ぜんざい)」です。1200年に生まれてから1211年の出家までの約11年間は「善哉」だったのでしょう。公暁の人生の中では「公暁」であった時間よりも「善哉」であった時間の方が長かったと思います。吾妻鏡ベースのブログでも触れましたが「善哉」は「よきこと」と読みます。非常におめでたい名前であり、祝福されていたことが伺えます。若いパパである頼家が名付けたのでしょうか。源頼朝が亡くなった翌年の誕生ですからきっと、男児誕生にお祝いムードが高まったのではないでしょうか。どこまでハッキリした検証か?は、解りかねますが一説によれば出家した時には、父の源頼家の一文字を取り「頼暁」となり後に、公胤の弟子となったことで「...