源頼家には正室及び側室が複数人いたことが記録されています。
公暁には、異母兄、異母弟、異母妹らがおり5人兄弟だったと思います。
兄1人、弟2人、妹1人。公暁は次男であったと考えられています。(異説あり)
異母兄弟同士で、どの程度の交流があったのか?解りません。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、異母兄の一幡(いちまん)が登場しました。
公暁の母は、河内源氏の血を引く武家の娘と考えられています。
名は「辻(つじ)殿」本名ではなく、通称名でしょう。
もしかしたら?異母弟される1人の母は辻殿の可能性もあり、公暁に実弟がいた可能性もありますが、歴史の記録は定かではありません。異説もあります。決定的な証拠は残念ながら確認できません。今後の研究で何等かが明らかになる日がくることを祈っております。
公暁の兄弟の中で、供養塔が存在するのは2人。異母兄の一幡と異母妹の竹御所(たけのごしょ)彼らの母は比企氏の娘である若狭局(わかさのつぼね)と考えられております。
※妙本寺の伝承では「讃岐局(さぬきのつぼね)」ともあるそうです。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では「せつ」と言う役名でした。
供養塔は、神奈川県鎌倉市にある妙本寺にあります。
妙本寺の場所は、元比企氏の屋敷跡とされております。
もしかしたら?公暁も幼いころ、比企氏屋敷を訪れたことがあるかも?知れない。と思うと
気分が高揚します!
一幡の供養塔は「一幡之君袖塚(いちまんのきみそでづか)」と名付けられています。比企氏屋敷が焼失した際に、一幡の服の袖部分が見つかったことにより、袖塚となったそうです。
実際のところ、一幡はどうなってしまったのか?についても所説あります。
一説には、母と逃げたがのちに北条義時が仕向けた刺客に命を獲られた・・・・とも。
亡くなったとするならば、この時、僅か6歳。気の毒な話です。
もう1人は「竹御所」と呼ばれた女性です。実質、源頼朝の直系は彼女が最後となりました。
竹御所の供養塔は、江戸時代になり造られた様で、それ以前は竹御所が信仰していたお釈迦様を祀っていた釈迦堂があった。と妙本寺の記録にあります。残念ながら釈迦堂は現存せず・・・。
一幡の袖塚も、竹御所の供養塔も、拝観者の皆様誰でもお参りできる環境にあります。
また、境内には比企一族の供養塔もあります。
近い未来、公暁にも皆様にお参りいただける環境を整えてあげたい!!
一幡、竹御所、比企一族の皆様に、公暁の供養塔が実現できる様、お力添え頂ける様に
お参りさせていただきました。(2023.07.16)
妙本寺様もとても素敵なお寺さんです。ぜひ、下記リンクよりご覧ください。
妙本寺のHP内にて、一幡之袖塚、竹御所供養塔、比企一族の供養塔の写真が見られます。
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