2024.07.03 10:007月7日演劇「公暁-Revolution-」鎌倉公演予告演劇「公暁-Revolution-」鎌倉公演きらら鎌倉ホールにて7月7日(日)18:00開場 18:30開演入場料:1000円(自由席)いよいよ今週末本番!昨日はきらら鎌倉ホールでリハーサルをしました✨広い!壮麗!!劇中で頼朝様はじめ政子様、実朝様…鎌倉時代の人物の名前を呼ぶ度、まさにこの地で生きた人々を題材に取らせていただいているのだな…と感慨深くも引き締まる想いです。作家の高田崇史さんが大森公演前のミニトークで「能や歌舞伎はじめ、歴史を描く物語は「供養」だ」と話してくださいました。我々もそういう気持ちで7月7日の公演まで頑張って参ります。リハーサル後、皆で鶴岡八幡宮と白旗神社にお参りに。鎌倉はめちゃくちゃ久しぶりだという藤岡さん、「隠れ銀杏」を見て...
2024.05.03 01:004月19・20日 演劇「公暁-Revolution-」大森公演劇団「風に吹かれて」本拠地の大森フォーク酒場風に吹かれてにて、演劇「公暁-Revolution-」2日公演、大盛況のうちに幕となりました!
2024.03.03 08:062024年02月24日(土)第一回公暁祭開催しました。2/23(金)~25(日)カレンダー上では、3連休。公暁祭は中日の2/24(土)開催致しました。週刊天気予報では、長らく雨マークが続き、開催できるか?どうか?毎日ドキドキしておりました。大泉寺住職から「大丈夫、晴れるよ」と仰って頂きましたが、降水確率が・・・2/23(金)公暁祭準備の為、大泉寺へ。ノベリティーグッズの確認や善哉庵の準備など。午後からは、奉納劇「公暁-Revolution-」のリハーサルもありました。天気予報では、2/23(金)午後から雨が上がる予報でしたが・・・雨が降る中のリハーサルに。夜も比較的遅い時間まで雨が降っており、少々心配な前日となりました。が!!2/24(土)宿泊先のホテルのカーテンを恐る恐る開けると・・・・なんと!!快晴。...
2024.02.17 01:002024年2月24日(土) 第一回 公暁祭 詳細公暁を想うお祭りをご位牌のある大泉寺で【大泉寺 × 公暁供養塔計画】令和6年2月24日(土)、士詠山 大泉寺にて第一回 公暁祭を開催いたします。大泉寺には公暁の御位牌が現存しています。それをきっかけに今、現存する墓所のない公暁に供養塔を建てようという計画が始動しました。公暁を想う人が、このお祭りをきっかけに少しでもつながっていくよう願うばかりです。
2024.01.14 08:17公暁について【寄り添ってくれる人】非常に残念なことは、吾妻鏡にも公暁の記録は少なく誕生日も不明、肖像画があるわけでもありません。どんな人だったのか?を想像する材料が不足していることは事実だと思います。私の個人的な考え方ですが、どんな人だったのか?を想像する以前に公暁は日本人として生まれ、鎌倉で暮していたことは間違いないでしょう。生まれた時代が異なっても、人が持つ基本的な感情には然程の違いはない。と思っています。例えば、人が感じる「喜怒哀楽」は鎌倉時代の人と現代を生きる私たちと大きな差はあるのでしょうか?私は「大きな差は無い」と思います。環境や文化が異なりますので100%同じとは限りませんが凡そ、変わらないモノではないかと考えております。私が1番に考えるのは、公暁が抱いたであろう「悔しさ...
2024.01.08 04:222024年2月24日(土) 第一回 公暁祭公暁祭開催に向けて、様々なイベント企画中です。◆奉納演劇 ◆応援隊の皆様の来場 ◆パネルディスカッション など。素敵な武士の皆様にもお会いできます!!お祭と言えば!!美味しいものアレコレですね。焼きそば公暁!!味噌こんにゃく・・・・今後の発表にもご期待ください♪食べて・飲んで・見て・お買い物して♪充実した1日を過ごして頂ける様全力で取り組んでおります!!X(旧Twitter)にて大泉寺住職からの先行情報などもありますが来場いただく皆様に楽しんで頂ける様、主催者、共催者共々、頑張っております!!どうぞ、ご期待くださいませ。
2024.01.07 12:46公暁について【幼少名:善哉】公暁はの幼少名は、私たちの店舗名にも拝借している「善哉(ぜんざい)」です。1200年に生まれてから1211年の出家までの約11年間は「善哉」だったのでしょう。公暁の人生の中では「公暁」であった時間よりも「善哉」であった時間の方が長かったと思います。吾妻鏡ベースのブログでも触れましたが「善哉」は「よきこと」と読みます。非常におめでたい名前であり、祝福されていたことが伺えます。若いパパである頼家が名付けたのでしょうか。源頼朝が亡くなった翌年の誕生ですからきっと、男児誕生にお祝いムードが高まったのではないでしょうか。どこまでハッキリした検証か?は、解りかねますが一説によれば出家した時には、父の源頼家の一文字を取り「頼暁」となり後に、公胤の弟子となったことで「...
2023.12.29 10:23公暁の記録【吾妻鏡】-No21-<おまけ>公暁の一件から然程、日も経たない1219年2月15日の吾妻鏡。午後2時前後のことである。北条政子の寝所に小鳥が舞い込んだ。(これは凶兆らしい)同日、午後4時頃、駿河国(静岡県)から飛脚が鎌倉に到着する。報告によれば阿野時元(阿野全成の四男)が2/11に多くの兵を集め阿野荘にて(阿野全成の所領で、自宅は阿野時元が継いでいる)城郭を作っている。東国支配を企てている。と・・・・1219年2月19日北条政子の命令により、北条義時が御家人らの軍勢を駿河国へ派遣する。目的は阿野時元らの追討である。1219年2月22日駿河国へ到着した軍勢は阿野一族らに攻撃を開始する。阿野時元及び仲間全員が追討された。1219年2月23日午後6時前後、駿河国からの飛脚が鎌倉に到着する...
2023.12.29 09:05公暁の記録【吾妻鏡】-No20- 北条泰時に「公暁の首かどうか?わからない」と言われた首のその後の話は一切、吾妻鏡には登場していません。どのくらいのスピードで、源実朝が討たれたこと、公暁が討ったこと。が鎌倉や京都で周知されたのか?解りませんが大パニックになったのではないか?と想像しています。「鶴岡八幡宮寺の別当が、将軍を討った。」セインセーショナルなニュースだったことは想像できます。現代で言えば、新聞一面のTOP記事にもなることでしょう。簡単に纏めて言えば「源実朝を討った公暁は、三浦義村の家臣である長尾定景らに討たれ首実検されたが、北条泰時によりその首が公暁であると断定できなかった」と言う記録です。大事件にも関わらず、どこかぼんやりした情報の様に感じるのは私だけでしょうか。後日談として...
2023.12.15 14:25公暁の記録【吾妻鏡】-No19-長尾定景らに捕らわれた公暁は、チカラいっぱい抵抗したのでしょうか。長尾定景らの仲間には西国でチカラ自慢で有名だったという雑賀次郎なる武士がいたそうですから公暁にとっては不利な状況だったことも考えられます。吾妻鏡によれば、雑賀次郎が公暁を組み伏せて、長尾定景が公暁の首を斬った。とあります。あっと言う間の出来事だったのか?それとも、時間を要しての小競り合いがあったのでしょうか?この時の様子については、残念ながら吾妻鏡には書かれておりません。公暁の首を獲った長尾定景らは、北条義時の屋敷に向かったとされています。三浦義村の屋敷ではなく、北条義時の屋敷なのですね・・・もし、三浦義村の屋敷前で公暁が討たれたと仮定するのであれば北条義時の屋敷は遠い距離ではありません...