鎌倉時代の記録と言えば、最も有名なものは「吾妻鏡」ではないでしょうか。
武家政権における最古の記録とも言える貴重な歴史的資料です。
吾妻鏡には初代将軍である源頼朝が伊豆で挙兵する場面から6代将軍宗尊親王が帰京し将軍を辞する場面までが記録されている。ただし、途中、欠落している部分があり、更にオリジナル資料は存在していない。
吾妻鏡は通説では1300年頃(鎌倉時代末期)の書物とされている。
即ち、この記録は公暁らが生きていた時代より約90年後頃に書かれている書物となります。編纂者は誰も公暁に会ったことがありません。
編纂者は、文官たちの記録を整理する形で吾妻鏡の編纂を行ったのだと思います。
編纂に編纂を重ねている吾妻鏡は、ある意味、鎌倉時代の未完の書であるとも言えます。
ちなみに「吾妻鏡」と言う名前は室町時代に名付けられた名前で、編纂当初の名前は不明です。「北条記」とか「得宗記」だったのでしょうか?(個人的な想像です)
吾妻鏡に公暁のことがどれくらい記録されているでしょうか。
公暁が誕生した記録についてですが、一切記録がありません。どこで生まれたのか?にも触れられていませんが幼少期を鎌倉で過ごしていることから鎌倉かその近郊であったでは?と想像しています。
吾妻鏡に公暁の記録が初めて登場するのは1202年11月21日
公暁の幼少名「善哉(ぜんざい)」として登場します。
3歳の時、初めて鶴岡八幡宮に参拝、馬を2頭奉納した。と言う記録です。この時は複数人が同行した様です。比企氏、新田氏の方が馬を引いて奉納した。と書かれています。
1202年に数えで3歳と言うことは逆算で1200年生まれだった。と言うことが解ります。
3歳の善哉、可愛かったでしょう。きっと、頼家も目を細めていたに違いないと思います。
頼家は、とても子煩悩であったと伝わります。たくさんの家人らにも可愛がられていたと思うと、何だか微笑ましく、公暁にもそんな時があったのだな・・・と感慨深い思いです。
2023.07.16 鶴岡八幡宮
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