歴史雑学【5】誰の目線で歴史を見るか?

「好きな武将は誰ですか?」「何時代が好きですか」と言う質問は、歴史好きな方であれば、必ず問われる質問であり、誰かに質問したことがあるのではないでしょうか。

私はいつも答えに迷ってしまいます。

「河内源氏の活躍が好きです」と言うと幅が広すぎます。

この回答では「足利尊氏」も「今川義元」も「武田信玄」も含まれることになります。※もちろん、後世の彼らの活躍も好きですが。

極端な例えではありますが「どこに住んでいるのですか?」と聞かれて「日本です」と答えるのと同じ感じになってしまいます。

「源頼朝が好きです」と言いたいところですが、(強いて)1番誰に1番興味があるか?と聞かれるならば、源義朝です。源氏病末期とも言うべき私の中の鎌倉史は、源義朝なくして成り立たないであろう。と考えるからです。源義朝のカリスマ性は、もっと評価してほしい!と思うところです。そのカリスマ性とも言うべき能力を継いだのが、源頼朝だったと思います。

もちろん、頼朝の兄弟たちそれぞれに源義朝の性質は遺伝されているでしょう。

長男である源義平は、15歳にして叔父を襲撃し、勝利しています。(大蔵合戦)

やんちゃな源義朝の若き日の行いに・・・よく似ています(良くも悪くも)。

源義経には、戦闘員としての「武」の素質が強く残された様に思います。

勝手な想像ではありますが、阿野全成と源範頼は、母に似たのではないかと思います。

鎌倉時代のスタートはもちろん源頼朝であることは間違いありません。

しかし、その土台を築いたのは、父上である源義朝の実績が大きいと思います。

源頼朝を支援し、鎌倉を作った方々の殆どは、元は源義朝の部下(家臣)だった方々です。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で登場した方々で言うならば、

上総介広常、足立遠元、千葉常胤、土肥實平、など。彼らは源義朝と共に戦った方々。

源義朝は「保元の乱」の勝者であり、「平治の乱」の敗者です。

ちなみに、平家軍の東国リーダーである大庭景親も、源義朝の部下(家臣)でした。

平治の乱により、平清盛が活躍する「平家の世」が始まり、それにより源氏を離脱し

平家に従った方も多いです。これは世の常と言えましょう。

決して彼らは裏切ったわけではないのです。生き残る為の選択があったと思います。

源頼朝の目線で見る鎌倉史、御家人となった方々から見る鎌倉史、平家側から見る鎌倉史

誰の(どこの)目線で歴史を見るか?によって、善と悪は簡単に逆転するでしょう。

木曽義仲が好きな方から見れば、源頼朝は極悪人以外のなんでもないでしょう。

平清盛が好きな方から見れば、命の恩人を裏切るなんて!源頼朝は恩知らずだ!と思われても不思議はありません。あの時、助けなければよかったのに・・・と思うでしょう。

上総介広常が好きな方から見れば、源頼朝は罪のない人を早まって殺した悪人。と見るでしょう。

どれも正解だと思います。そして、不正解もないと思います。

「違う!そうじゃない」と言う否定は、余程の史実的な間違いがない限り、私は言いません。

本当の事は、誰にも解りません。知りたくても知る方法がありません。

何を思い、どうしたかったのか?は本人に聞く以外の正解はないでしょう。

書き残された歴史の書が、100%真実か?と言う証明はできません。

書かれていることを鵜呑みにせず、疑問を持つことも大切だと思います。

残された文献をもとに研究や理解を深められている方々の見解にも否定感は全くありません。

研究が進むのと、真実が解るのは完全なるイコールではないと思うからです。

正解がない中で、頭ごなしに「違う」と否定することは、相手の歴史感を否定することになります。

逆に「こうに決まっている」と言う肯定もしません。

「こうであったらよかったな」「こうであってほしいな」と言う気持ちが殆どです。

言葉には「誤解」が生じることも多々ありますので、それは訂正や修正できます。

日本史に興味を持って頂ける方が増えつつあることは非常に喜ばしいことです。

これから明らかになる歴史もあると思います。そんな素敵な瞬間を共有できる方が多いというのは、とてもわくわくします。

私事ではありますが先日、某SNSサイトで私のコメントに対して「頭、大丈夫ですか?」とメッセージがありました。

正直、良い気持ちは全くありませんし、不快でしかありません。(相手にもしません。)

「この方は可哀そうな人だな」と思う程度です。

いくら匿名であっても、面識のない人に、こんな言葉を投げかけられる人がいるという現実が悲しくなりました。一体、何がしたいのか?理解に苦しみます。リアル現実の世界で売られた喧嘩は全部買い取りしますが、ネットやSNSでの明らかな誹謗中傷には全て無視を決めています。

ドラマのセリフではありませんが「言いたいことがあるなら表に出ろ!」です。

否定されるのであれば、文字ではなく、会って言葉で言えるか?どうか。

考えてから文字にするのが良いと私は思います。

源頼朝が好きと言えば、源義経ファンには叩かれます(笑)

喧嘩を売られている訳じゃないですが、義経ファン目線で見れば、そうなるでしょう。

私の「北条アレルギー」は、北条氏や彼らに関わる記録を否定するものではありません。

私の中で受付られず、消化できないことへの拒否反応です。

むしろ、摂関家でも将軍家でもない伊豆国の一族が、政権を握るのですから、こんなに面白いことはない!!戦国時代の下剋上より、面白い。と思います。

源頼朝が築いた鎌倉を100年以上も護っていたのですから感謝の気持ちも多くあります。

北条氏にとっても、危機はいくつもあったと思います。

河内源氏である新田義貞率いる軍勢により、鎌倉時代は1333年に終焉を迎えます。

これを、源氏による政権奪還と見るか?後醍醐天皇による政権奪還とみるか?

どちらからの目線で見るか?で大きく、善と悪が逆転する出来事の1つではないでしょうか。

「視点を変えて歴史をみる」と言う気づきがあったことは、私には大きな財産となったこの頃でした。