歴史雑学【6】❝御供養❞と言う考え方

歴史好きな方であれば「この方が好き」「この武将が好き」と言う「推し」の方も多いと思います。この「推し」と言うのは1980年代に生まれた日本語の俗語。としてWikipediaに書かれています。

「推し活(推しを広める活動)」や「推ししか勝たん(推してる人が最高です)」と言う言葉は2000年代になってから広まったそうです。

俗語とは言え、新しい言葉が生まれて普及するというのは面白い社会現象だな。と非常に興味深いです。ひと昔前であれば歴史好き=歴史オタクでした。

某ゲームのキッカケにて、女性の武将ファンが活動を活発化させたことで「歴女」と言う言葉が普及しました。個人的に、この「歴女」と言う言葉には戸惑いがありました。

「鎌倉時代が好きです」と答えると「歴女なんですね!」と言われる機会が増えました。

そもそもは、戦国武将推しの女性を「歴女」と言われていましたので、鎌倉時代好きの私は、これには当てはまらないと思っていたからです。

現在では、歴史好きな女性=歴女、と言う考え方が一般的になりつつありますので

「歴女ですね」と言われて「そうですね」と答えることに抵抗感は薄れました。

しかし、本物の歴女の皆様から見て、どうなのかな?と思うと、少々、申し訳ない気持ちもあります。

「箱推し」と言われる考え方も存在しています。

例えば「鎌倉殿の13人に登場した御家人たちが好き」と言う場合には、この「箱推し」となるのでしょう。特定の一人ではなく全体を推す。

私はこの「推し活」はとても良いと思っています。

それは、誰かを思う、誰かに思いを馳せる、その方がどんな方がったのか想像する、と言うことが「御供養」の1つとなると考えているからです。

その方が生きた時代は、現代とは明らかに異なります。もちろん、想像できないこともたくさんあります。

その方が生きたことを知ることで、その方の生きたことや存在が肯定されます。

供養塔や墓所を訪れた時には、必ず「ありがとうございます」と感謝を伝える様にしています。それが、無名の方であっても、有名な将軍様あったとしても同じです。

例えば、源頼朝に仕えていた御家人であれば「頼朝公を助けていただき、支えていただき、ありがとうございます。」とお参りしています。

公暁には墓所も供養も今はありません。大泉寺様にある御位牌と対面できた時には

「戒名もつけて貰えて(誰かが)ご供養してくれてよかったね!」と本当にうれしかったです。御位牌は、いつ誰が大泉寺に持ち込んだのか?は明らかになっておりません。

鎌倉時代からあったのか?室町時代なのか?江戸時代なのか・・・・

供養塔は、墓所(お墓)の代わりに建立することができます。

しかし、戒名は素人がつけられるものでもありません。

公暁の戒名は「真空院殿無相阿闍梨公暁尊位」とあります。

素人なので深い知識はありませんが、「真空」と使われていることから真言宗系の僧侶の方が

付けて下さったのかと想像しています。

どんな経緯があったにせよ、現在は静岡県沼津市にある大泉寺様で手篤いご供養を頂いているのも、公暁の運命の1つなのかも知れません。

その方を忘れないこと。その方を思い出すこと。その方の生きた時代を思うこと。

人それぞれだと思います。

私なりに、これが「推し」への供養の1つだと考えております。

※あくまで鎌倉時代を生きた方への考え方であり、現在、生きている方が対象ではありません。