2023.11.18 08:13【歴史雑学】IF(もしも)あの時・・・記録の少ない鎌倉での出来事には、非常にいろいろな想像や妄想が膨らみます。歴史に「IF(もしも)」はない。などとよく耳にしますが、私には「IF(もしも)」しかありません。どれが真実なのか?を見極める資料もありません。精々、頑張って、吾妻鏡と愚管抄を読み比べるくらいでしょう。当事者の記録は残っていない為、見聞録に頼るしかないのですがこれが真実である。と言う証拠も何1つありません。これを良いことに、妄想放題!仮説立て放題になります。せっかくなので、私の仮説の仮説のご紹介です。※証拠たるものは1つもありません。公暁がどの段階で、源頼家(父)が討たれたこと、また討たれた背景を知ったのか?は解りませんしかし、少なくとも鎌倉に帰ってきた時は、すでに公暁の企ては完成し...
2023.10.08 12:53【歴史雑学】ご子息の名を拝借しています。大河ドラマだけではなく、時代劇や映画、または書籍などで人物に対するイメージがあると思います。多くは演じた俳優さんのイメージではないでしょうか。鎌倉殿の13人では、寛一郎さんが素敵な公暁を演じてくださり、公暁の名をご存じない方に知って頂く機会の1つになったのではないかと思います。日本史の教科書には登場しますが、知名度は高くありません。公暁と言えば「鶴岡八幡宮で将軍を斬った男」であり、これは変えられない史実であり、公暁の枕詞とも言えると思います。では、公暁はどんな人だったと思いますか?と言う質問に答えられる方はいらっしゃるでしょうか。正解はありませんので、想像と妄想の世界のお話になります。どんな人物像だったのか?を知る記録は残っておりません。背丈や顔立ちを...
2023.09.24 10:56【歴史雑学】佐々木氏の末裔さんと出会う「SNSで出会う」「ネットで出会う」と言うことに難色を示す方も少なくありません。実際に、事件や事故に繋がるケースがあり、ニュースでも取り上げられています。悪いイメージも少なくないと思います。推奨してるわけではないのであしからず。私自身のケースで言えば、SNSやネットで出会った方々に数えきれない程、お会いしています。誤解のない様に先に書きますが、誰でも会うと思うわけではありません。100%歴史繋がりで1番多いのは鎌倉の神社仏閣を巡るツアー開催です。遠方の方にとっては「鎌倉に行く」ことが特別な方もたくさんいらっしゃいます。せっかく来て頂けるのですから効率よく巡り、希望の食事やデザートを食べてほしい。「面白かった!また来たい」と仰っていただけるのが、何より私...
2023.09.09 06:01歴史雑学【6】❝御供養❞と言う考え方歴史好きな方であれば「この方が好き」「この武将が好き」と言う「推し」の方も多いと思います。この「推し」と言うのは1980年代に生まれた日本語の俗語。としてWikipediaに書かれています。「推し活(推しを広める活動)」や「推ししか勝たん(推してる人が最高です)」と言う言葉は2000年代になってから広まったそうです。俗語とは言え、新しい言葉が生まれて普及するというのは面白い社会現象だな。と非常に興味深いです。ひと昔前であれば歴史好き=歴史オタクでした。某ゲームのキッカケにて、女性の武将ファンが活動を活発化させたことで「歴女」と言う言葉が普及しました。個人的に、この「歴女」と言う言葉には戸惑いがありました。「鎌倉時代が好きです」と答えると「歴女なんですね...
2023.09.02 06:31歴史雑学【5】誰の目線で歴史を見るか?「好きな武将は誰ですか?」「何時代が好きですか」と言う質問は、歴史好きな方であれば、必ず問われる質問であり、誰かに質問したことがあるのではないでしょうか。私はいつも答えに迷ってしまいます。「河内源氏の活躍が好きです」と言うと幅が広すぎます。この回答では「足利尊氏」も「今川義元」も「武田信玄」も含まれることになります。※もちろん、後世の彼らの活躍も好きですが。極端な例えではありますが「どこに住んでいるのですか?」と聞かれて「日本です」と答えるのと同じ感じになってしまいます。「源頼朝が好きです」と言いたいところですが、(強いて)1番誰に1番興味があるか?と聞かれるならば、源義朝です。源氏病末期とも言うべき私の中の鎌倉史は、源義朝なくして成り立たないであろう...
2023.08.19 12:20歴史雑学【4】源頼朝に仕えた上総介と娘婿源頼朝と言えば、河内源氏の嫡男であることは多くの方が御存じかと思います。源頼朝を担ぎ、鎌倉へ誘導して将軍にした御家人の皆様の顔ぶれをみても圧倒的に、源氏ではない方の数が多いです。(源頼朝の異母兄弟は除く)また、その多くの方々は、源頼朝の父上である源義朝の部下だった方が多いです。坂東は、もともと、秩父氏や鎌倉氏などの勢力が強い地域です。源義朝が長生きされていたならば、事情は変わったかも?知れませんが、源義朝の亡き後は平家の世になり、源氏の力は、みるみる衰えていったことでしょう。大河ドラマでもピックアップされる話ではありませんが、上総介広常(大河ドラマでは佐藤浩一さんが演じられました)の本名は平広常です。名前の通り、源氏ではありません。桓武平氏と言われる一...
2023.08.13 04:06歴史雑学【3】「退耕行勇」って誰?退耕行勇(たいこうぎょうゆう)と言う名前に見覚えはないでしょうか?吾妻鏡にも、ちょくちょく登場されており、鎌倉との深い関係性が伺えます。退耕行勇は、鎌倉時代前期に活躍した僧侶です。実は、この方は公家である四条氏(藤原氏)の出身との記録・・・・。どこで生まれたのか?どこで亡くなったのか?解っていないことは多々ある様ですが、臨済宗の僧侶として活躍された記録が多く確認できます。1163年生まれー1241年没(78歳没)とされています。公暁の母である辻殿の戒師であったことは「吾妻鏡の中の公暁-No.5-」にて触れました。戒師(かいし)とは、出家される方に「戒」を授ける方です。出家立ち合い人と言ったところでしょうか。ただし、戒師を務めるには一定の資格(?)が必要...
2023.07.30 04:31歴史雑学【2】河内源氏のご先祖様たち皆様は、人物名を調べる時にどんなツールで調べているのでしょうか?私は、必ず家系図を確認しています。ご先祖が誰か?誰と繋がっているのか?親、兄弟などの家系図を見ることで、対象人物の立ち位置を確認しています。公暁は、河内源氏と言う家系の1人です。「河内源氏」と言っても家系図はとても広く有名人で言えば、足利尊氏、新田義貞、今川義元、武田信玄も河内源氏です。表記方法に明確なルールがあるのか?ないのか?は、解りませんが「清和源氏〇〇流河内源氏」と言う表記を多く目にする気がします。〇〇には人名が入ります。〇〇が直系のご先祖様の名前にあたります。これも統一されている訳ではありませんので、書籍によっても違いますし、ネットで検索しても、様々な表記があります。個人的にはど...
2023.07.23 05:21歴史雑学【1】八幡宮の歴史鎌倉のシンボルである鶴岡八幡宮は、多くの方が認識されている通り!初代征夷大将軍であり、初代鎌倉殿である源頼朝によって作られた八幡宮ですが、造られた当時は「鶴岡八幡宮寺」神仏混合でした。八幡宮の中にお寺がありました。1180年に鎌倉入りした源頼朝が、着手した一大プロジェクトが鶴岡八幡宮造営です。鶴岡八幡宮の前身は、源頼朝が鎌倉に来るよりも100年以上前に、ご先祖様である源頼義(みなもとのよりよし)が、京都にある石清水八幡宮の八幡神を鎌倉に勧請(かんじょう)したのがはじまり。勧請(かんじょう)とは、神様の分身をお引越しさせること。全国の八幡宮の本宮は、大分県宇佐市にある宇佐神宮です。宇佐神宮の八幡神の分身を石清水八幡宮にお祀りし、石清水八幡宮の八幡神の分身...
2023.06.17 04:00公暁への想い公暁がどんな一生を過ごしたのか?公暁は、どうして?源実朝を暗殺したのか?公暁と言う人物を知りたくて約20年間ずっと公暁の記録を探していました。大河ドラマ効果もあり、大泉寺に御位牌がある事を知り、2022年に初めて形ある公暁の生きた証に手を合わせる事ができました。しかしながら、公暁の名前が有名か?と聞かれたら、答えはNO!です。どうしたら?彼が生きた証を残せるか?源氏ゆかりの地を巡りながら色々と悩み、考えて来ました。源頼朝にあって公暁にないもの?源頼家にあって公暁にないもの。公暁が生きた証とは?それは、私達が公暁と言う1人の青年を知ること。そして、想い続け、語り続け、何より次の世代へ、またその次の世代へ語り継ぐことではないか、と言うのが私の答えです。大泉...