公暁の記録(吾妻鏡)- No 12-

【吾妻鏡】1219年1月27日 

天気は晴れだったが、夜になって雪が降り2尺(約60センチ)程、積もりました。

将軍家右大臣任命報告の拝賀式典の為、鶴岡八幡宮に午後6時頃に参拝予定です。


吾妻鏡では伝承と同じく「雪が積もった」と書いてあります。60センチと言うとかなりのドカ雪だったのではないか?と想像します。気温については書いてありませんが、きっと冷え込みがキツイ日だったのではないでしょうか。

吾妻鏡の中では、この後に、拝賀式に参加したお偉い様方々の名前がズラりと紹介されております。京から遥々とやってきた方々の名前が多く、馴染みのない名前が多いです。

一番、馴染みのある名前は源仲章でしょうか。

吾妻鏡の中には「文章博士仲章朝臣」と書かれております。

源仲章は、吾妻鏡の中の「天殿人」と言うグループで紹介されています。

殿上人と言うのは、宮中に出入りできる階級なので、位の高い方々です。

そこそこの高い地位であったことが伺えます。

仲章は源姓ですが、鎌倉将軍家(清和源氏)と親戚ではなく、宇多源氏です。

強いて言えば、遠い、遠い親戚ではありますが、ほぼ他人です。

鎌倉殿の13人の中で言えば、可愛いお爺ちゃんで人気だった佐々木秀儀と同じ家系になりま

す。宇多源氏の皆様も、鎌倉時代に活躍されています。

続いて「前駆(ぜんく)」グループに馴染みのある名前がちらほら見えます。

前駆グループは騎馬で後ろの方々を誘導する役割です。

ここに相模守(北条時房)や右京権大夫義時朝臣(北条義時)の名が登場しております。

大河ドラマ鎌倉殿の13人で、北条義時が白犬を見て気分が悪くなり、源仲章と交代したと

言うエピソードがあります。これがこの日のお話です。

また、このエピソードが元で、実朝暗殺の黒幕は北条義時なのでは?と言う説の根拠となって

いる様です。個人的な見解ですが、義時が具合が悪くなったと言う出来事そのものが

私は後の創作話ではないか。と思っていますが、真実はどうだったのでしょうか。

※次回に続く。