公暁について【寄り添ってくれる人】

非常に残念なことは、吾妻鏡にも公暁の記録は少なく

誕生日も不明、肖像画があるわけでもありません。

どんな人だったのか?を想像する材料が不足していることは事実だと思います。

私の個人的な考え方ですが、どんな人だったのか?を想像する以前に

公暁は日本人として生まれ、鎌倉で暮していたことは間違いないでしょう。

生まれた時代が異なっても、人が持つ基本的な感情には然程の違いはない。と思っています。

例えば、人が感じる「喜怒哀楽」は鎌倉時代の人と現代を生きる私たちと

大きな差はあるのでしょうか?

私は「大きな差は無い」と思います。

環境や文化が異なりますので100%同じとは限りませんが

凡そ、変わらないモノではないかと考えております。

私が1番に考えるのは、公暁が抱いたであろう「悔しさ」です。

公暁は自分の意志で将軍家に生まれたわけではありません。

自分の意志で仏門に入ったわけではありません。

もし、私だったらこの運命を、どう受け入れるだろうか?と想像すると

とても苦しくて、息が詰まる思いになるのではないか?と思います。(個人主観です)

自分のチカラではどうすることもできません。

「なぜ?自分なのか・・・」と言う自問自答の日々を過ごすかも知れません。

現代も同じではないでしょうか?

自分のチカラではどうにもならない事を、受け入れなくてはいけない時

「なぜ?自分がこんな思いをしなくちゃいけないのか!!」と漠然とした怒りが出ると思います。

「なんで?なんで?」と、考えれば考える程に、悔しさが沸き上がると思います。


私は大泉寺に拝観時、必ず!!お参りをします。

阿野全成殿、阿野時元殿、公暁。それぞれに話しかけます。

公暁には「会いに来たよ!」と話しかけます。

そろそろ・・・「また、お前か・・・」と思われているかも?知れません(笑)


「自分のチカラではどうにも出来ないことに立ち向かって、公暁はエラかったね!

私も、辛くて悲しいこともあるけど、公暁も同じだったよね」

と、伝えています。

少しでも公暁の想いに寄り添ってあげたい!と思うのですが

よくよく考えると・・・これは逆でした。

公暁が私たちに寄り添ってくれているのではないか?と思います。

「うんうん、わかるよ、わかるよ!!」と聞いてくれているのではないでしょうか。

「ちょっと聞いてよー!!」と言う、私の日常の愚痴にお付き合い頂いてますので

次回は、何か美味しいモノを持参して「いつもありがとうございます」と

感謝を伝えよう!と思います。

さて、公暁の好物は何だったのでしょうか・・・





公暁供養塔保存会

曹洞宗士詠山大泉寺 ボランティアチーム