JR沼津駅北口プラザヴェルデにて開催されました「ぬまりびと博覧会」に
大泉寺チームと共に出店させて頂きました。
「ぬまりびと」とは、「何かに沼っているひと」つまり「何かに嵌っている人」です。
善哉庵の出店ジャンルは「(為義流)河内源氏」
河内源氏の中でも公暁イチ推し!で、PR活動してきました。
出店ジャンルは様々で、歴史イベントではありません。
善哉庵のお隣は、蝶番(ちょうつがい)を造られている伊東金属総業 様。
偶然にも修善寺より出店されており驚きました!
修善寺(修禅寺)は、公暁の父である源頼家公が幽閉された地です。
源頼家ゆかりの地から出店された隣に公暁推しの私たちがおりました。
不思議なご縁だな・・・と本当に驚きました。
25組出店がありましたので、隣になったのは偶然ですが、ちょっと運命的な気が致しました。
多くの方が、善哉庵ブースで足を止めて頂き、河内源氏の話、公暁の話、鎌倉時代の話など
お話することができました。
「大河ドラマは観ていない」「歴史に詳しくない」「公暁を知らない」と仰る方が殆どでしたが
皆様にとても熱心にお話を聞いて頂けました。
大した資料ではないのですが、夜な夜な悩みながら作った、なんちゃって家系図が想像以上に
使えました。歴史は知らないけど「教科書で見たことある」と仰る方が多かったです。
学校の教科書の多くは、公暁が源実朝を襲撃した話がメインとなっており
その前後の話や時代背景などは省かれています。
もちろん!公暁はイチ推し!ではありますが、公暁が生きた時代に生きた方々の紹介もできました。
強く訴えたのは「公暁は加害者ではない」と言う面です。
源実朝を襲撃したのは史実であり、その事件だけを取り上げるなら加害者かもしれません。
しかし、なぜ?公暁が源実朝を襲撃することになってしまったのか?の時代背景や
公暁が望んで出家したわけではないことやオトナ達の政治的な都合で出家の身となったことなどを
お伝えすることで、公暁もある意味「被害者」だったのでは?と言う持論に
「なるほど。。。」と同意頂けた方も多く、とても嬉しかったです。
善哉庵は、公暁弁護団としての役割を(少し)果たせたのではないかと思っております。
鎌倉時代だけの話ではありません。
現代を生きる私たちの生活の中でも、理不尽な出来事は多々あります。
「どうして?自分がこんな思いをしなくちゃいけないのか?!」
私たちも、公暁と同じ様な怒りや悲しみを持って生きています。
「昔の話」ではなく「現代も同じ」なのだと言うことも多くの方に聞いて頂けたことは
出店の成果物の1つだと思います。
公暁供養塔計画の募金もたくさんご協力頂き、本当にありがたい限りです。
この場を借りて、募金頂きました皆様に心から御礼申し上げます。
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