歴史雑学【1】八幡宮の歴史

鎌倉のシンボルである鶴岡八幡宮は、多くの方が認識されている通り!初代征夷大将軍であり、初代鎌倉殿である源頼朝によって作られた八幡宮ですが、造られた当時は「鶴岡八幡宮寺」神仏混合でした。八幡宮の中にお寺がありました。

1180年に鎌倉入りした源頼朝が、着手した一大プロジェクトが鶴岡八幡宮造営です。

鶴岡八幡宮の前身は、源頼朝が鎌倉に来るよりも100年以上前に、ご先祖様である源頼義(みなもとのよりよし)が、京都にある石清水八幡宮の八幡神を鎌倉に勧請(かんじょう)したのがはじまり。

勧請(かんじょう)とは、神様の分身をお引越しさせること。

全国の八幡宮の本宮は、大分県宇佐市にある宇佐神宮です。

宇佐神宮の八幡神の分身を石清水八幡宮にお祀りし、石清水八幡宮の八幡神の分身を鶴岡八幡宮にお祀りしたわけです。

つまり!鶴岡八幡宮の八幡神は、分身の分身と言うことになります。(※お伝えし易く「分身」と書いております。実際に神様に分身と言う概念はございません。あしからず。)

皆様もドラマや映画で見たことがあるかもしれませんが白旗に大きく「南無八幡大菩薩」と書いてあったり、床の間の掛け軸に「八幡大菩薩」と書いてあったり・・・・

八幡神は、武家の神様として多くの信仰を集めました。

八幡神は弓矢の神様=武芸の神様=戦の神様とも言えます。

武士が「南無八幡大菩薩」と唱えるのは念仏の1つ。「私は八幡様の子です。私に武運をください。私を護ってください」と八幡神にお願いするわけですね。

さて、「八幡大菩薩」と言う言葉に違和感を持たれた方はいらっしゃいますか?私は、初めて知った時には、とても混乱した言葉です。

八幡宮にお祀りされているのは「八幡神」=神様。「大菩薩」=仏様(仏教)。

「八幡大菩薩って神様なの?仏様なの??誰なの??」と考え始めたら大混乱でした。

調べてみたところ、「八幡大菩薩」と言う文言は、奈良時代からあったそうです。

これは「神仏習合文化」の中で、ある意味代表的な造語ともいうべき称号の1つです。

簡単に言いますと、仏教側から見た八幡神の称号が「大菩薩」

八幡様+大菩薩=八幡大菩薩。とっても単純な様で、ちょっと深いなと思いました。

八幡神の信仰が全国に広まるきっかけになったのが、鶴岡八幡宮だったそうです。

御家人の皆様の信仰が深まり、全国に八幡宮や八幡神社が造られたのでしょう。

宇佐神宮を本宮とする八幡宮や神宮は2023年現在、約40,000社あるそうです。

神社の歴史やお寺の歴史は、知れば知るほど「へぇ~!!」と思うこがたくさんあります。

またの機会に、雑学としてご紹介できればと思います。

最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。