歴史雑学【3】「退耕行勇」って誰?

退耕行勇(たいこうぎょうゆう)と言う名前に見覚えはないでしょうか?

吾妻鏡にも、ちょくちょく登場されており、鎌倉との深い関係性が伺えます。

退耕行勇は、鎌倉時代前期に活躍した僧侶です。

実は、この方は公家である四条氏(藤原氏)の出身との記録・・・・。

どこで生まれたのか?どこで亡くなったのか?解っていないことは多々ある様ですが、臨済宗の僧侶として活躍された記録が多く確認できます。

1163年生まれー1241年没(78歳没)とされています。

公暁の母である辻殿の戒師であったことは「吾妻鏡の中の公暁-No.5-」にて触れました。

戒師(かいし)とは、出家される方に「戒」を授ける方です。出家立ち合い人と言ったところでしょうか。ただし、戒師を務めるには一定の資格(?)が必要なので、戒師は誰でもOKと言うわけではない様です。

源頼朝公は、退耕行勇が鎌倉滞在時に、何度も何度も会いに行っている記録があります。  とても気が合ったのでしょうか。

頼朝公が仲良しの僧侶であれば、さぞ!「The・僧侶」の様なゴリゴリの和尚様か?と想像してしまいますが、実は、頼朝公より16歳年下です。

1163年生まれとすると、北条義時と同じ年に生まれた方です。若手のやりて僧侶と言った方が合っているのかも知れません。

源頼朝公が亡くなり、北条政子が出家する時の戒師も務めております。

もっと言うと、実朝公が亡くなった後の御台所様の出家の際も戒師を務めています。

頼朝公が満を持して造営された永福寺(廃寺)や、実朝公が造営された大慈寺(廃寺)の別当を務められたこともあるそうです。

大々的にスポットライトがあたる方ではないかも知れませんが、退耕行勇目線で見る鎌倉時代は、どんな感じだったのか?大河ドラマにならないかな・・・なんて思ったりします。